● 1月24日(水) ●
夏と秋はひじき煮ばかり作って過ごした私ですが、今は卯の花ばかり炒ってます。実家では食卓におからが登場することがなかったので、こんなんでいいのかな?と適当に作っているのですが、美味しければいっか、と、とても気楽にエンジョイおからライフ。あと、今私のなかでは菜の花が熱い。菜の花の素敵なところは、2分で茹上がることと、茹でても嵩が減らないことです。菜っ葉ものを茹でた時のコンパクト化には、時折悲しくなりますもの。こんなに小さくなって…って。流れ出たアレやコレやを思うと、水気を切って更にコンパクトになったほうれん草等を前に、「あんなに立派に見えたあなたなのに、あれは全部かりそめの姿だったのね…。本当はこんなちっぽけな存在だったなんてっ。ひどいわ、私を騙したのね! 返してよ、私の愛したあの人を!」とか罵ってみたりします(脳内で)。ちょっと親には見せられない姿です。そんなくだらないことをやっているから、別の鍋ではゴボウに火が通り過ぎて、求めたはずのしゃっきり感の代わりにほっこり感が残ったりするわけですよ(失敗例)。
ところで、昨今話題の尽きない北の地「夕張」ですが、ゆうばりはどう発音するのが正しいのでしょう? 朝ズバのナレーションの人が、音で表すと「ファミレド」な音階で夕張を発音するのですが、私は「ミミミミ」の音なんですよね。毎日それが気になって、つい朝ズバを観てしまいます。みのもんたはミミミミ派なんですけど。どう発音するのが正しいのかしら。うーんうーん(悩)。
● 1月23日(火) ●昨日に引き続き、文章がつがつの日。ずっとiBookの上に手を置いているせいか、手首のところのころんとした骨の表面の皮膚が、ちょっとつるつるになりました。
あ、そうそう、これを書いておかないと。掲示板はもうずっと以前から書込みできないようにしてあります。撤去するか改善するかしようと思っていたのですが、面倒くさがって放置しています。万が一、何か書こうと挑まれた勇猛果敢な方がいらっしゃったら、申し訳ありませんでした。某ゲームの攻略補助ページもリンク外しっぱなしなので、そっちから検索で来ちゃった方もすみません。でも、あの攻略は友人のためだけに作ったものなので、リンクするよりはざっくり消す方向だと思います。他にも消したいものとか沢山あるんですが、そういった取捨が苦手で、つい後回しにしがちです。春までには何とか……したい。ここまできてもまだ希望として語るあたり、ダメっぽさムンムン。
● 1月22日(月) ●先週とはうって変わって、急にやる気が出てきました。何をという目的語ははっきりしませんが、とにかくやる気いっぱいです。今年になってからすっかりサボリ癖がついたお弁当作りも再開し、ようやく正月休みが終わったかなという感じ(正月休み、長過ぎです)。この勢いのあるうちにと、20時から3時までがつがつと文章を綴るのに打ち込んでみたのですが、しばらく趣味的な方向の文章を書くことを控えていたので、つまらないこと甚だしい。内容のつまらなさは、まあ、持って生まれた才の限界もあろうよと諦めもつくのですが、とにかく言い回しとか、表現とか、そういう修飾的な部分が、以前ならもっと別の書き方があったろうよ、とがっくり肩を落としたくなるのです。実は、今年の日記もそんな理由で、書くには書いてはいるものの、今日の時点で9日以降はまだ公開していなかったり。うーん、でも、もういいかなという気もしてます。これが今の私だし、みたいな開き直り感がにょっきり顔を出してきてる。所詮、良い方にも悪い方にも堪え性がありません。
文章といえば、うちの社の社内報には結婚だの出産だのの報告欄みたいなのがあって、その結婚のところで出会いのきっかけやプロポーズの言葉という、聞かれる側になったら放っておいてくれ!と叫びたくなりそうな質問項目があり、今号のその記事のひとつ、一組のご夫婦のプロポーズの言葉が「君の隣に立つ栄誉を僕にください」という、今どき月9でだって言わないような凄い台詞でした。片膝ついて、薔薇の花束でも捧げ持って告げそうな台詞です。でも、ええと、ここだけの話、これを好きな人から言われたらちょっと……いえ、正直に言いましょう、かなりときめく。ちょっとこれで一本書けるんじゃない?とか考えたことは秘密です。何を、というのは、更に上いく秘中の秘。社内報のあの人は、こんなこと考えられてるなんて、ましてやそれをひっくるめてワールドワイドに公開されるなんて思っていないでしょう。ちょっとお気の毒さま。
● 1月21日(日) ●お年賀状をいただいた方のうち、実家に届いたうちの数件と、松の内を過ぎて届いた数件についてはお返ししていないので、寒中見舞いはいつまでに出すものかと調べたところ、立春までに出すものだということ。ほうほう(梟)。そして、立春を過ぎてしまったら、余寒見舞いとして出せという。余寒見舞い、ものを知らない私には初めて目にする言葉です。そういえば、夏は暑中見舞いに残暑見舞いがあったなと記憶庫の奥をほじくり返したついでに調べてみると、梅雨見舞いに歳晩見舞いなるものまであるそうです。それぞれに1ヶ月ずつの適用期間があるとして、6種で6ヶ月。実に年の半分は何らかの理由で見舞い、見舞われる立場に立つわけです。どれだけ過酷な国なの、ニッポン! そして、それだけの過酷な環境下にあっても世界一の長寿国を名乗れるこの国民の生命力は、いったい如何ほどの強靭さを秘めているのでしょうか。ハイ、ここ2行くらい、とっても適当な感じで書いてみました。
そういえば、一通り新春の新番組が始まったようですが、私の定期視聴リストに残ったドラマは一つもありませんでした。「華麗なる一族」は番宣のしつこさに胸焼けしつつも北大路欣也の劇画的で濃厚な存在感に興味があって、初回をチラ見したものの、池の鯉の稚拙な動きに急速に期待感が萎み、脱落。いくら家具や食器に金をかけようが、あの鯉ひとつで台無しです。思わず吹き出しますって、あれは。と、書いたところで思い出しました。あった、ありました、ひとつだけ観てるドラマ。「相棒」ってやつの、シーズン5…ですかね(曖昧)。話もそれなりに面白い上に、何といっても1話完結なのが良いです。
そんな私が、でかける時には録画予約も入れて観ている番組はひとつきり、「おねがいマイメロディ くるくるシャッフル」です(笑)。今日はウサミミ仮面の着替えシーンがあって、そりゃあもう驚いたの何のって。不思議な力でへーんしん!だとばかり思っていました。ふーん、そうか、着替えるんだ……。
● 1月20日(土) ●何となくだらけた気持ちだったので、食欲が怠惰欲(そんなものがあるのか?)を上回るまで食事の準備をお預けにしてみたところ、見事に一日お腹がすかないという結果を迎えてしまいました。人間の意志は本能を上回る…! これこそ、ヒトを高等動物に位置付けるに相応しい理由ではありませんか。とか何とか、そんなことを身を以て立証する前に、身体を大事にしたほうが良いのはわかってるのです。でも、お台所は換気扇を回すと寒いんですもの……(本音トーク)。そんなわけで本日の摂取物:野菜生活750ml。以上。
お腹がすかなかったのは、運動量の少なさもあったと思います。何しろ1Kのマンション一部屋、動物園のクマみたいに歩き回ったところでたかが知れています。掃除したって所詮10畳、風呂に至っては片手で事足りる面積、洗濯は洗濯機がします。外出しなけりゃ、消費カロリィの増やしようがないってわけですよ。これぞ省エネ!とほくほくしつつ、その頭の上でエアコンがっつり入れてりゃ地球に対するやさしさなぞ欠片も見当たらない。もとより、そんなやさしさを持とうと試みた過去も見当たりませんが。
● 1月19日(金) ●ええと、わたくし、巷で言うところの乙女ゲーなるものを幾つか嗜む身でございまして、まあ、そういった類いの一つとしてKナミのヒットシリーズのうちの女性向である某ゲームも嗜んでいるわけで。新作が出るとなると欲しくもなるわけですよ。で、ですね、そういった人間は私ひとりに限ったものではなく、同好の士は世にゴマンといるのです。そんな乙女の足下をみまくったKナミさんが、予約特典を6種にわけるという思い切った作戦を繰り広げてきなさったという次第であります。販売店ごとに特典が違うだなんて、そんなの男性向ゲームかジャニー○あたりのやり口だと思っていましたよ…! 乙女の足下みることにかけてはK○EIの右に出る者はいないと思っていましたが、さすが、F崎詩織でがっぽり稼いだKナミは違うぜ、と変なところで感心させられました。いやはや、商魂たくましくていらっしゃる……。
しかし、「6社でそれぞれ買って、ソフトを友達に配ろうかしら!」と意気込んでいらっしゃる乙女を、さらりと巡ったWeb上で3人はお見かけしました。そのうちのお一方は、こりゃやるなと妙な確信を抱かされるほどの確固たる決意を漂わせていらっしゃいました。いやはや、皆さま、ほんに逞しくていらっしゃる……。といいつつ、私もところや品が変われば逞しくなれるという自覚はあります。そういう時の為にこそ、サラリィと引換えに労働をしているのですもの。欲しいなら、手を伸ばして何が恥ずかしいものかと思います。というわけで、わたくし現在ルパンのDVD BOXを予約中です。TVシリーズに映画3本、計42枚のディスクをどーんと大人買い。大人になってて良かった! 置くとこないけど、そんなのは作れば良いのです。お金は稼げば良いのです。見る時間だって、何とか作るさ。ああん、早く発売されないかしら! るりるらら〜(楽しみの舞)。
● 1月18日(木) ●床に臥していた間はあっさりした食べ物ばかりを食べていた反動か、唐突にジャンクフードが食べたいと思い立ち、マクドナルドへ。ビーフパテよりチキン好きなので、数在るチキン系の中からいつもの如くトマトチキンフィレを選び、チキンにチキンを重ねたらどんだけチキン好きと思われるかしらん、とサイドメニューはポテト。以前、チキンタツタにナゲットをプラスしたところ、店員さんに「チキンチキンですが、よろしいですか?」みたいなことを尋ねられて居心地の悪い思いをしたことがあるので、それ以来、チキン系サンドを選ぶ際にはナゲットを注文できずにいます。堂々とチキン好きを誇れば良いとも思うのですが、指摘されたら引く程度には、チキン+チキンは変かもねという意識がある表れかと。それはともかく、お会計を待つ間に隣のレジに並ぶ男性がメガマックなる商品を注文しているのを聞いて、初めてその存在に気がつきました。ビッグマックでさえボリュームいっぱいと思っているのに、その上何がどうなってメガを冠するのかと思いきや、バーンズの間にビーフパテが2枚ずつ、計4枚挟まれているのだという。それはダブルチーズバーガーを2つ食べれば良いのでは?と思って、暇だったので店員さんに尋ねると「お値段100円の差で倍になった上にゴマも付くんです。お得ですよ」とのお答え。その後に少し間を空けて、声も小さくなって「…まあ、チーズは減るんですけど」って付けて。ああ、素敵なお返事です。全てを余す事無くお伝えいただけた気がします。この店員さんのためになら、メガマック、1度だけ試してみても良いかと思ったほどです。今日はチキン頼んじゃったので、実行するとしても次の機会ですけれど。これ以前にマクドナルドへ行ったのは数ヶ月前なので、このインターバルを後にも適用するなら、数ヶ月間メガマックに存続してもらう必要があります。マクドナルドの採算と頑張り次第か。そして、それ以前に、お得感はさておいて肝心の味はどうなのか……?
● 1月17日(水) ●本日も引き続きお休み。昼過ぎに熱は下がったのですが、何となく今日は差し迫った仕事がないような気がしたので。もっとも、そういう日でなければ休もうとは思いません。事後処理が面倒ですもの(赤裸々)。
折角平日の昼日中に家にいるのだから常ではやらないことをやろう、と、ワイドショーを見ていました。非常に下世話な内容で、下世話すぎて面白いくらいです。ワイドショーって報道じゃないんですよね、ショーなんです。アメリカあたりのコメディドラマみたいに、笑いどころと泣きどころと怒りどころがきちんと決められていて、そういう感情を抱きなさいねという演出がなされている。これは一種の情操教育なのでしょうか?
昨今、報道でもワイドショーでも、もう様々なところで自殺が取り沙汰されていますが、問題にすべきは自殺そのものなのか?という気がします。人間それなりに経験を重ねれば、そのどこかで自殺を考えることくらいあるでしょう。自殺しようという能動的な考えだけでなく、自らの身に起こりうる可能性のひとつとして、選択肢のひとつとして、そういうこともあるかもしれないと知り、そうなった場合を想像するぐらいのこと、大抵の人はやったことがあると思います。それは別に悲しいことではないと思うし、むしろ、そうやって自分にいつか降りかかる死を見つめること、そのスイッチのひとつは自分の手にあることを知るところから自らの人生の舵を自身で握るようになるんじゃないかと、私は思っています。少なくとも、私はそうでした。
初めてそういうことを考えたのは、そのとき死にたい程に辛いことがあったわけではなく、当時話題になったサブカル系の自殺マニュアル本を持っていたクラスメイトから見せてもらって、これはオススメだのこっちは苦しむだのと余計なお世話感ムンムンの内容に失笑しつつも、死ぬ時にセットで付いてくる苦痛や死後の美醜や、場合によっては遺族に請求がいってしまう莫大な賠償金の発生についてなど、知っておいて損のない部分も多く、こう死にたいではなく、この手の死に方は残った家族に迷惑がかかるからダメだ!的なところから入ったと記憶しています。死に際のことまで、何とも打算的(笑)。けれど、打算的だろうが何だろうが、こういう「死によって他者が被る損害」は知っておかなくてはいけないと思います。死ぬことと引換えになるものを知らないままに死のうとするのは、何かこう上手く表現できませんが、一種の契約違反だろう…みたいな理不尽さを感じてなりません。誰にも迷惑にならない死に方なんて、野生動物に何ひとつ残さず食らい尽くされてそれを証言できる証人もいる場合くらいしか思いつかない(それでも、食しちゃった野生動物や証人となる人の未来には様々に影が差す)し、誰かに迷惑をかけるとわかっているならその迷惑に対しての代償を残すくらいの誠意を見せようよ、と思うわけです。その誠意で許されるかどうかは別として、ただ一方的に押付けて消えるのはね、ちょっと狡い気がします。そんなこと気にする余裕もないくらい切羽詰まっているからこその自殺なのかもしれないけれど。あと、その迷惑をもって復讐に代えたいというのなら、まあ、それは個人の価値観と選択の自由かなと諦めます。
前述のようなことを思って、私が成人してしばらくの収入は3分の1程を「いつ死んでも困らないようにしよう貯金」として貯め始めたものです。私は宗教を持たないので火葬だけで構わないのですが家族は外聞もあってそうはいかないだろうと判断して、最低限の葬儀代として100万、墓代その他で200万の計300万は必須、その他の法要やそれらを取り仕切る迷惑料としてさらに200万は残さないと死ねない!という気概でコツコツ貯金。結婚資金やら旅行資金やら、そんな使うかどうかわからないようなお金より、時期はわからずともいつか必ずくるべき時に備えることから、です。このお金が貯まらないうちは、私の命は私のものであって私の自由にして良いものではないと考えていたので、「いのちだいじに」モードで生きていました。貯まってからはもう、「がんがんいこうぜ」でダイビングとかにも手を出したわけですが。この話をすると大概の友人が変わったイキモノを見るような目で私を見るんですが、そんなに変わった考えなのでしょうか。ううむ。と、こんなことを書いてると、いざ私に何かあって警察がこのデータを押収した時にワイドショーで「トリさん(仮名)は常日頃から死を考え…」とか、誤った情報が巷のお茶の間に垂れ流されたりするのかしら(笑)。
あと、ついでに書いておこう。私は別段、自殺の良し悪しを語る気はなくて、起こりうる出来事のひとつという認識です。自殺という選択をすることが悲しいことだとは思うものの、戦時中のように本人の意志とは無関係に死に追い立てられ、あまつさえそれを美徳とされること程には恐ろしくないし、誰かのために死ぬよりはずっと自由だとは思います。まあ、これは私個人の意見というだけの話です。自殺を否とする人の考えも、理解できるし、その考えは自由でしょう。ただ、道徳的な面から「死んだら悲しむ人がいる」と説いている人を見ると、間違いではないだろうけど、効果的ではないと感じます。道徳って、要は他者との関係、ひいては社会において必要となるルールであって、他者との断絶である死を前にしては大きく影響しないものではないかと思う次第です。もっとも、世の人々が私の考えが及ばないくらいに情緒豊かな方々ならば、その手段も有効と言えるのでしょうが。
うーん、やっぱ上手く言えない部分が多々ありますが、今日はここまで。
● 1月16日(火) ●人混みでもらってきてしまったのか、風邪っぽく熱を出して寝込んでみました。熱が高いときの風邪は割と回復が早いので嫌いじゃありません。人体というのはとても良く出来た仕組みだと感心しながら、ぼんやりとした意識でカーテンの隙間差し込むうっすらとした光を見ると、ベッドに居るのに今は昼なんだ…と贅沢な気分に浸ってみたり。そんな余計なことを考えるだけの気力があれば働けたんじゃないかとも思いますが、そろそろ年度有休消化を意識しないとごっそり捨てる羽目になるわけですし、休むきっかけがある時には休むべきだと怠い身体をそのまま甘やかして一日を終えました。もう、無理をしてもそれを取り戻せるだけの余力を持ってはいないのです。生きてくので、割といっぱいいっぱい。
● 1月15日(月) ●昨夜、ドリアを作りました(おお〜っ、と驚くところですよ皆さん!<私にしては割と凄いことなのです)。で、それを、熱いものは熱いうちに食べようと頑張ってハフハフむほむほ…うぉっぅあっつ!ぎゃんっ痛ッ!等と一人うるさく、これはまさに擬音のオーケストラや〜、と彦麻呂っぽく言わんばかりの食事風景を繰り広げていました。端的に申し上げると、がっついて口腔内に火傷を負ったわけです。舌がヒリヒリする程度と、あと、少々上顎がぺろんとなりました。まぁ、そんな痛いメモリィは昨日のことです。私は今日を生きる。そう思って寒風に向かって強く生きていた私は、午後にはすっかりとお口の火事など忘れきって、意気揚々とランチタイムを迎えました。そうして思い知ったのです。「災厄は忘れた頃にやってくる」、そんな先人の言葉を。皆さま、ゆめゆめお忘れになってはいけません、火傷を負った口の中に担々麺を入れてはいけないということを。あっついわ辛いわ痛いわの三重わ(?)です。あの時、口の中のものを吹き出さずに事無きを得たのはひとえに、乙女の恥じらいに他ならなかったと思います。あら皆さま、ここは吹き出すとこじゃありませんよ!
● 1月14日(日) ●知人の手伝いで、新年最初のイベントで海辺の某所へ行ってきました。お手伝いのはずなのに、スペースには私ひとり。当の家主は別スペースへ。もうこれ、手伝いの範疇超えてるよ!と思ったものの言い出せずに一日を終えてしまいました。心の狭い私ですが、出来ること、許容範囲内のことであれば割と大らかでいられます。流されやすいとも言う。こういうところだけ、実に日本人的だなと思います。
今回はお店番をしないといけない都合上、お買い物に出る時間があまりなかったのですが、その割には紙袋がいっぱいになったという摩訶不思議アドベンチャ。掴もうぜ、手に入れろ、という私の熱い気迫が為し得た奇跡でしょうか。ほくほくです。そこ、がっついてるとか言わない。もしも私に流れる血が現在の私に何らかの影響をもたらしているとするならば、必ずそこに狩猟民族の血が流れているに違いないと信じて疑わない私なので、狙った獲物は逃がさない。以前、うっかり私の狩りの場に居合わせてしまったがばかりに、数年来の友人をして「狙いを定めたときのトリさんの目は本気すぎて、少し怖い」と言わしめたほどです(笑)。いや、でも近年はそれほどでもないはず。
今日買った中で3年ぶりくらいに買ったジャンルがあるのですが、好きだったものはちゃんと好きだと感じただけの引力があるものなので、今更ながらも好きだなぁと感じてしまうわけで……、今、ちょっと焼けぼっくいに火がつきかけています。
● 1月13日(土) ●昨日購入した『ηなのに夢のよう』を読了。ああ、どうしよう。やっぱり犀川先生がすごく好きです……(告)。
実在の人物でも架空の人物でも同じなのですが、たったひとつの事柄だけで人を好きになります。この一言を言えるだけでその他の全てがどうであろうとこの人が好きだ、と思う、そんな一言があります。ごく最近だと、日本ハムファイターズの森本稀哲選手。年末に実家に戻っていた時に見たTV番組での彼の言葉にぐっときたので、今年は是非とも彼を応援していきたいと思います。新庄が引退した今年こそ、彼の男っぷりを見たいところです。
ところで話は全く変わるのですが、近ごろ流れている「上空サプライズ!」のコピーを掲げたホンダのクルマ(車種は知りません)のCMが大好きです。ミッチーが白馬に跨がった、アレです。彼のような、自分とは何者かを演出し、イメージが定着することを厭わず武器にできるタイプの芸能人が好きなんです。とても清々しい。たまに、グラビアアイドルがグラビアじゃない自分を見てほしいと言っていたりするのをみると、人によっては、脱がない貴女に一般人以上の何がある?、世間が君に求めているものはグラビアの君であってグラビアじゃない君ではない、とか思っちゃいます。どの方向へ向かうも望むのは自由だし、頑張るのも自由だけれど、それが自らの武器として適当かどうかは別なんじゃないかと。何が言いたいかと言うと、グラビアアイドルが身体隠すなと、ただそれだけです。その点、ほしのあきは素晴らしいプロ根性だと思います。端的に、出せるもんあるなら勿体つけてないで出せよぅブーブー、という年中不作の胸元を抱えた女の遠吠えだと思っていただいても構いません(ムダ吠えも甚だしい!)。
ええと、ミッチーに話を少し戻します。彼の素敵なところは及川光博という一個の芸能人としては前述の通りなのですが、俳優としてはまた少し別で、どんな役を演じてもミッチーテイストが醸し出されるのに、ちゃんとそれがその役を形作っているところではないかと思うのです。以前、Cさまが「キムタクは何を演じても木村拓哉になる」というようなことを仰っていたのですが、それとは似て非なる才で、身近なもので例えるならば、ゴマ油で風味付けをした料理は中華っぽさを感じさせはしても仕上がりは様々なのに対し、牛肉は和洋中どんな調理を施そうが牛肉の味、という感じ。この場合、ゴマ油がミッチーで牛肉がキムタクなわけですが。使い方も似ていると思います。この役はこの人がイメージだなっていうのと、この人を使ってこんな役をさせたいというのと。視点や立場から求めるものはそれぞれだし、個人的な観点での良し悪しや好き嫌いを論じても意味がないと思うのでどちらがどうと言うわけではないのですが、私の思い描く「俳優」という存在はゴマ油の役割だとは思います。牛肉のそれは、個性として、それはそれで得難く素晴らしいものだとは思いますが。
● 1月12日(金) ●あまり夢を見ない(覚えていない)性質なのですが、今朝見た夢は割とはっきり覚えています。そこへ繋がる状況は覚えていないのですが、私は文庫本を読んでいたのです……俗に言うBL小説というやつを。誰の本だか、どんなストーリィだかの詳細は不明ですが、とにかくその本でいざコトに及ぼうとした(いえ、実際には及ばれんとした男の子、なのですが)がベッドヘッドの引き出しからハンドクリームを取り出す、というシーンがありまして、それがとにかく納得できないと憤慨している夢でした。何も憤慨までせんでも、と我が事ながら思いはするものの、目が覚めた今でもやはり納得はできません。そりゃあね、昨今の若い男の子は非常に美に対する意識が向上していて、油とり紙やリップクリーム携帯は当たり前レベル、エステに通うような子もいるのは知っています。ハンドクリームくらい持ち歩いていたっておかしくはないでしょう。でも、私は、あえて枕元にハンドクリームを常備している高校男子の存在を信じられません。置いておくなら水回り周辺(洗面所とか)が適当だと思うのですよ。それを何故、あえてベッドヘッドに?
何の暗示か、新年早々からどんな意味があるのか首を捻るような夢を見、あまつさえその夢のどうでもよいところにこだわり、何の得にもならない疑問にとらわれています。ちなみに、今年の初夢は同僚のSさんとS君が付き合ってるのが判明したという内容でした。そのS君は今年のうちに別のお嬢さんとご結婚の予定があるにも関わらず。初夢が正夢になるだなんて迷信は、これこのように当てにならない。別に、富士も鷹も茄子も扇も煙草も出て来なかったことを悔しがってなんかいませんよ。ただ……、次はもっと健全な夢を見たいと思います。
● 1月11日(木) ●一晩寝たら、胃の腫れはすっきりと引いたようです。昨日のあれは何だったというのか。反抗期なのかしら?
そういえば、今年も父方の祖母からお年玉を貰ってしまいました……。昨年が最後だと思っていたのに、何とまあ。面と向かってならさすがに受取りはしなかったのですが、両親が預かってきてしまったものを突き返すわけにもいかず、とりあえずは受け取っておいて、後日何か買って挨拶に行こうと思い、母に相談の電話をしたところ、話の流れでもう一方の母方の実家の話に。年末に行った鎌倉のお土産として持って行ったお菓子を、祖父が「あいつ(私のことです)が持ってくるものはさすが、美味い」とよくわからない信用でもって絶賛、家族分足りるようにと5個入りを買ったのに「誰にもやらんと一人で食べた」と言う……。しかも、前回訪ねた時に「また近々くるよ」と言って帰ったのを心待ちにしているらしく、私にとっての近々は来月くらいのつもりだったのに、いつ来る来週か再来週か?と出走前の馬みたいな落ち着きのなさらしい。なんだ、おじいちゃん、私のこと大好きだな! 普段そんなそぶりを1μも見せないくせに、陰では大好きオーラだだ漏れのようです。こんな身近での絵に描いたようなツンデレ発見の事実に、新年早々驚きを隠せません。ツンデレは、年齢性別不問、地域だって選ばないようですよ。勿論、血縁関係だって選ばない。
● 1月10日(水) ●胃が痛い。胃痛です(言い換えの必要ゼロ)。けれどこれがなんとなく、馴染みのある胃痛ではないように感じます。胃の内部が痛むのではなく、胃が腫れているような感覚で、且つ、胃の外側が痛む気がする。というか、外部からの振動が胃に伝わると痛みを感じるようなのです。何なんだろう、これは……。胃そのものの処理能力に問題はないものの歩くとその振動で痛みを感じるので、できる限り歩かずに仕事をこなそうとするのですが、そうするとひどく怠慢な社員に思われてしまいそうなのが嫌です。かといって、歩くと痛い。痛みが顔に出ると「痛いなら座っときなよ」と労られそうで、でも労られるほど大した痛みでもない。八面体のジレンマキューブでシェイクされているかのような逃げ道のなさです。むしろ、逃げ道がないのはこの心中を知ってしまった場合の周囲の人々だと思いますが。勝手にしろよ!としか言いようがないでしょうね……いやはや、まったくです。
そろそろ年賀状の到着も終結を迎えたっぽく、大阪ではえべっさん真っ盛り。さあ、そろそろバレンタインの準備でしょうか。まっこと乙女は忙しいことですよ(他人事のように)。大した予定を入れていないはずなのに忙しなく過ぎてしまう1月2月、今年は、今年こそはあの方にチョコレートを贈りたいものです。あ、Mさん、私にもあったよ今年こそやりたいことが!(私信)。ちなみに今年は限定ものではなく、スタンダードなチョコレートを買おうと思った次第です。限定もののお高いチョコは日持ちをしないのが唯一最大の欠点だと思うのです。食べたい時に食べたいものを食べたい。これぐらいの我侭は許されても良いと思うのですよ。
● 1月9日(火) ●先月の電気代請求がきました。おおお、驚いた! 春夏の倍ですよ、倍! はらたいらも吃驚な最終問題倍率ドンです(古)。ガス代請求もがっつり上がってますし、もう恐るべし冬の光熱費って感じです。しかしまあ、暖かい生活のためなら安いもんです。エアコンくらいしか暖をとる機械がないと思っていた今のお部屋ですが、液晶TVもなかなか頑張って発熱してくれていますし(抱きしめると暖かいのですよ、これが!)、何よりもiBookが思わぬ暖房効果を発揮してくれます。この白い林檎のお嬢さんをお腹において布団の塊にもたれて作業すれば、身体の芯からぽっかぽか。素敵よiBook! まあ、Appleはこんなことで誉められても嬉しくはないのでしょうが。
夜、出張で大阪へ来ていた知人と食事をした時に「今年こそやりたいこと」というのがテーマになりました。今年こそ、というところに既に敗北感がふよふよ漂っています。これまでに1度、または何度もできなかった何かを、今年のチャレンジでは叶えたいという切なる願い。「まあ、新年の抱負でありがちなのはダイエットだね」「あー、でも私ダイエットするわって宣言する人ほど成功率は低いよね。下手すりゃリバウンドで基準値よりもアップ、みたいな」…と、本気でダイエットを敢行せんとしている人から睨まれそうな話をしながら、言ってる君たちはどうなんだいと問えば、「家内安全、健康祈願」と友人が言い、「つつがなく一年を過ごす、かな」と私が言う。一念発起も心機一転も無関係ここに極まれり。そういえば昔から、自分自身に対しては夢の無い人間でした。人間、そうそう生き方なぞ変わらないイキモノですよ。
● 1月8日(月) ●非常に遅ればせながら、新年を迎えたことだし日記を再開してみました。強情にも日記と言い張るからには毎日……は無理でも、3日に1度は書きたいな、書けるといいなと思っています。この弱気がもうダメダメ感たっぷりですが。
実に4ヶ月以上もの間、日記も書かずに何をやっていたかというと、それなりに楽しくぐうたらと一人暮らしを楽しみつつ、とんでもない胃腸風邪にやられてみたり、とんでもない人間関係トラブルに巻き込まれてみたりして、陰でこっそり疲弊していました。過ぎてしまえばどうってことないことばかりなのですが、渦中に在る間はとにかく大変に思えて、このままどうにかなったらどうしよう!と本気で焦って疾病・死亡保障の保険に入りかけました。人間、追いつめられると本性が出ますよね。大胆不敵と思われがちなのですが、性根は割と心配性なのです。しかもその保険、死亡時の受取人を愛犬にしようと思っていました。……自分を見つめ直すには良い機会だったように思います。一番大事なのが犬で、意外と家族も大事で、普段なら「積み荷を燃やして」と叫びたくなるようなアレやコレやの所有物については諦めがついてしまうみたいですよ。そういいつつ、14日には新年最初の海辺の狩りへと出かけるわけですが。加入に至る過程から見ていたよっすぃ〜@モー娘も卒業を決めたというのに、私はまだアレから卒業の見込みがありませんよ。
とはいえ、海辺へ行けなかった年末年始は、これでもかというくらいに家族団欒に全力投球しました。お歳暮代わりに両親にちょっとお高い中華料理店でご馳走し、犬を愛で、犬を愛で、とにかく犬を愛でる毎日です。なんて非生産的な過ごし方でしょう! 合間に兄夫婦が実家を訪ねてきたので、元日は皆でカニ鍋。もう、殻を剥くことさえ面倒になった私と父は、ひたすらにカニしゃぶ用のむき身のカニのみを食べました。これでおそらく次回のカニ鍋では殻付きのカニが姿を消すことでしょう。私のこういった自己主張の積み重ねにより、実家はかなり私にやさしい環境になりました。喜ばしいことです。
実家で怠惰に過ごしすぎたせいか、休みが明けてもなかなか動き出せずにいます。寒さのせいもあるのでしょうか、とにかく眠くて仕方ありません。この連休、実は16時間連続睡眠をとった日があったほどです。なんぼなんでも寝過ぎやろう。12月に鎌倉行ったり札幌行ったり神戸行ったりと出かけまくった反動というのを言い訳にするには長過ぎるだらけっぷりです。自覚はあります!(<偉そうに言いきることか!)。
明日から頑張ろう……(ダメな人の常套句)。